ネカフェでこれを書いているのだが、OとKとNの反応がとても悪くて苦痛。
北海道では先祖の系図やら巻物やら、果ては道庁に保存してある系図のコピーの確認と色々忙しかった。

昔は刀もあった(小学生のときに真剣が鞘に納まったままで持ったことがあるが、とても重かった)のだが、これはもう親父がつばのみ手元に残して残りは処分してしまったらしい。

普通なら博物館で見るような江戸後期の書物を仰向けに寝ながらソファで読んでる俺ってのはどうなのか。客観的に見るととても不思議な気持ちになる。
しかもだれだー、その書物にダブルクリップつけてまとめてあるのはw
先生、怒らないから挙手しなさい。

いくつかの書物を読んでるうちにわかったことだが、どうも初代が残した系図は全編漢字の書物でとても読解が難しく、後の代でそれらを一時的にまとめた比較的現代でも読みやすい系図が残されていた。これが明治時代くらい。

親父から子供のころに聞いた話だと、うちの場合はその時代、家と家との付き合いというのがあり、武家で男児が生まれないと家が取り潰しになってしまうため、養子縁組が盛んに行われていたようで、うちの苗字じゃないものが2つほど出てきている。

で、今調べてわかったんだけど、系図と一緒に出てきた書物が徳川幕府と賊徒との争いを扱った書物であることが判明。うちは徳川家の家臣であることがわかってるので、この書物もあったのかも。ちょっと、帰ってまた見てみようと思う。

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